アート思考とは、物の見方を広げたり、そこから自分だけの「問い」や「答え」を作っていける探究型の思考
ルミコ:LITTLE ARTISTS LEAGUEは、「アートを通して多様な表現力とグローバルマインドを育む」ことを目的としてワークショップを中心として展開をしてきました。末永さんの著書に書いてあった『アート思考とは「①自分だけのものの見方」で世界を見つめ、②「自分なりの答え」を生み出し、③それによって「新たな問い」を生み出す 思考プロセス』がとっても響きました。「13歳からのアート思考」はビジネスマンに向けても書かれているとのことでしたが、現代を生きる全ての人に響くと思いました。アート思考って何でしょうか?
末永:アートを通して、物の見方を広げたり、そこから自分だけの「問い」や「答え」を作っていける探究型の思考を、アート思考と言います。
アートってなんなんだろうと考えた時に、狭い意味での美術ではなく、広い意味で生きる哲学や活動そのものであると考えています。この右にあるのが「13歳からのアート思考」という本なのですが、中学生や高校生に向けて行なってきた授業を大人でも楽しめるように書いた本です。本の中では、ピカソやアンディーウォーホールなどの20世紀を代表する6人の有名なアーティスト達が、作品を作る裏側で本当は何をしていたのかを一つの問いにしています。
そのアーティスト達がしている思考法で、「自分なりの自分だけのものの見方」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出し、それによって「新たな問い」を生み出す思考法を、アート思考と呼んでいます。
「興味のタネ」「探究の根」「アートという植物」
末永:よくタンポポを浮かべてくださいとお話しします。みんな大抵黄色い花を思い浮かべるかと思いますが、ニホンタンポポの場合、なんと1週間しか花の期間はないそうです。そしてその個体は大体15年の寿命だそうです。
タンポポにとって大切なのは、花の部分なのか、根っこの部分なのかと考えたとき、言わずもがな、根っこの部分の方が大切であると言えるのではないでしょうか。このイメージを持ってアートをこのイラストのような植物に例えて考えてみましょう。アートという植物は、「興味のタネ」と「探究の根」「表現の花」から構成されています。「興味のタネ」は七色をしていて、興味は一つである必要はないと思っています。そして四方八方に広がっている根は、ただ一本まっすぐにのばす必要はなく、この根っこを広げていく過程こそが目的であり、本質であるという考え方です。急いで、自分の花を咲かせようとしなくても、自分のこの根っこをのばす過程を楽しんでいれば、予期せぬタイミングで自ずと花は咲くものだと思います。
人生の目的は、人に評価されるような花を急いで咲かせることではなく、自分のタネから根を伸ばす過程にこそある。根っこがあればちゃんと存在しているんだと思うことができれば、「花が咲かなかったらどうしよう」「花が枯れてしまったらどうしよう」と恐れる必要がない。学びも仕事もどんどん自分ごとになっていって、結果的に人生が豊かになるなあという思いから、やっていったというのがあります。
アート思考にたどり着くまでの葛藤
末永:最初は美術教師としては、実は今と正反対の授業をしていたんです。作品の仕上がりを大事にしていました。
なぜ作品自体ではなく、タネや根に注目する思考に至ったかというと、一度教職を離れて、学外のワークショップに出会いました。その時に違和感を感じたんです。私は、教員をしていたので、参加しているみんなが、なんとか形のあるものを作って持って帰ることで、自信を持って欲しいなと考えていました。一方で、一緒にやっていた大学院の友達がいたんですが、彼女の行動は私の真反対でした。ある子の隣にずっと座っていたにも関わらず、その子は、ほどんど作品も仕上がってなかったという状態だったんです。そこで、感じた違和感を突き詰めていったところ、私のこびりついていた当たり前が浮き彫りになりました。私が無意識の中で行おうとしていたのは、複数の参加者に一斉指導をすること、一定の時間内に作品を作り上げること、作るものやすることが決っていることなど、多々ありました。当たり前と思って自分の頭で考えもせずに行っていたなと考え直し、そういった前提を一度疑ってみるのも大切だと気付いたんです。
また、表現者として美大を卒業してから制作もしていたのですが、そこでも違和感を覚えたのです。作品を作ることに向き合うことはとっても楽しかったのですが、別の段階で違和感を覚えました。例えば、作品を広げていくには、同じスタイルで大量生産しなければならないと考え始めると、ドンドンつまらなくなっていきました。また作品を発表する段階でも、「どうやって作ったんですか?」とか「いくらくらいなんですか?」という表面的な質問を受けるたびに、作品を通して自分自身が品定めされているような気がしてしまいました。その違和感をがきっかけになり、アートとは何だろう?と考えていったとき、最終的にに行き着いたのが、作品自体だけがそんな重要な訳ではないと思ったんです。
20世紀の美術史家のE.H.コンブリッチが「これがアートだというようなものは、ほんとうは存在しない。ただアーティストたちがいるだけだ」という言葉が腑に落ちました。アートは作品だけではなく、アーティストの生き方に価値があると思ったんですね。だから、アーティストとして生きて産み落とした形が、油絵でも陶芸でもいいし、ビジネスという形でもいいと思うわけです。
「自分の思考の箍(タガ)」を外すワークショップ
ルミコ:LITTLE ARTISTS LEAGUEのワークショップは、「やさしいことを一つすると、一つ咲くやさしさの花」というテーマで、ワークショッププログラムを制作しました。多様で捉えどころのない「やさしさ」という多様的なことをアートをきっかけに考えるため
末永:自分のワークショップでは、「常識の箍(タガ)」を外すことを大切にしています。タガを外すためには二つあります。一つ目は、「自分の違和感に目を向けるということ」。そしてもう一つは、「自分とは遠い考え方に出会うこと」です。
そう考えた時に、様々な外国の方がやさしさについて考えているエピソードが良いと思いました。例えば、「フィンランドではNOということもやさしさである」ということは、「自分とは遠い考え方に出会うこと」なんです。
今当たり前のように考えていることを敢えて疑うことで、自分でタガを外すことができると思います。
ルミコ:自分のやさしさを一つ書いて、逆さまのやさしさって何?という質問が書いているワークシートとかあると良いかもしれませんね。
末永:本当にそういうことをやっています。今見えているものや思っていることを一個一個書き出して、「それって絶対なの?」と問いかけて行きます。例えば、このやさしさでいうと「やさしさは、良いものだ」とか「やさしくあらねばならない」というのがあって、そもそもやさしくあらねばならないという所に、当たり前というか前提があるのかなと思いまして。真逆の意見を言える風土があると思いました。「優しくなきゃならないの?」と根本から疑うことができる雰囲気があっても良いのかもしれない。それは主体的にやさしさについて考えることに繋がりますから、長い目で見れば、結果的により良い社会を実現していくことになると思います。
ルミコ:実際に展覧会会場で、こどもが「何でやさしさって必要なんだろうか?」と言ったら、少しタガを外せたかなと思えますね。
アート思考で環境問題を考えると・・・
末永:先日京都で地球環境問題について考えるワークショップを実施したのですが、そこには様々な前提があると思ったので、タガを外すワークショップを行いました。これまで学校や家庭で教えられてきた、地球環境を守るために「するべきこと」「してはいけないこと」をのためにやることを書き出してもらって、それを一つ一つ疑っていくということをしていきました。リサイクルをするとか、水を無駄遣いしないとか、リサイクル運動に参加するとかを書き出して、「それは絶対なの?」と考えていくというのをしてみました。
間違ってても良いからネット検索は使わず、まずは自分の頭で考えるということを大切にしました。
その後、子どもたちは「逆さまな世界」を空想していきます。環境を守るために「〜しない」という解決策ではなく、「今してはいけないとされていることをする世界」を考えるようにしました。例えば、「水を使わない」ではなく、「水をじゃんじゃん使う世界」と考えました。水自体は循環しているので、水を綺麗にするための薬剤やエネルギーがもったいないからなのではという思考になり、では水を綺麗にするための魔法の薬剤があれば、「水をじゃんじゃん使う世界」が可能なのではないかと空想を膨らませたりしました。
また、「プラスチックゴミを減らす」という前提を疑った「プラスティックゴミをどんどん使ってもいい世界」で、その架空の世界ででは「どんなことができるか?」「どんなものがあるのか?」と考えたら、自宅にプラスチックを溶かすマシーンがあって、自分でシリコン型を作って、自分の欲しいものをドンドン作れる世界が飛び出しました。「そのマシーンでこんな工作をしたい」と楽しそうに話していました。
もちろん、ここで空想したものはすぐに実現できる解決策ではありません。しかし、「〜しない」という消極的な解決策ではなく、その子どもが本心からワクワクして「やってみたい」と思ってしまうような興味のタネをつくるきっかけになるのではないかと思っています。
ルミコ:まさに、環境問題ってスタックしがちで、全然ワクワクしないしアイディアもなかなか出ない中、アート思考を用いるとこんなにワクワクするアイディアが出るなんて、驚きです。まさに起業家がアート思考が必要ということがここにあるんだなと再認識できました。
やさしさとは、自分をまるごと肯定すること。
末永:私の考える「やさしさ」とは、人にやさしくする前に、まずは自分に優しくする、つまり自分の存在を肯定することなんじゃないかなと思うんですよ。自分の存在を丸ごと肯定する経験をするにはアートが良いと思っています。アートは明確な評価軸がないんですよね、だから全部肯定できちゃう。私の授業では出てきた作品を全て肯定するようにしています。
逆に考えると、作品を否定することはその人の存在を否定してしまうことに繋がると思うんですよね。一方、算数のテストで15点だった場合、明確な評価軸があるので、それに沿って改善すれば今後は100点に近づけるので、その人自身の評価とは直結しないんですよね。
どんな小さな作品にも、その人の存在が表現されます。アートの作品自体を肯定することで、その人の存在を肯定することができるので、自己肯定を上げることができると思います。
ルミコ:そこは、かなりLITTLE ARTISTS LEAGUEの活動のきっかけになった信念と近しいですね。アメリカは自己肯定感の高い国で、アメリカでは全肯定の経験をした中で、日本って秩序があって文化も素晴らしいけれど、一つ足りないというならば、自己肯定感あげられない国だと、子育てを通じて再確認しまして。私たちのワークショップでは、最後にSHOW & TELLの時間には、みんなで良いところを指摘しあったりします。全肯定する場が必要だなと感じたので、自分達で作っちゃったという感じです。
末永:自分の存在を肯定することは、自然と自分とは違う考え方を持つ他人の存在を認め、他の人にやさしくすることができると思うのです。自己肯定と他社理解は共存するものと思うのです。
「やさしさとは、自分の存在をまるごと肯定すること。」末永幸歩
SPEAKERS
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末永幸歩(美術教育研究者)
発行部数16万部を超える『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』の著者であり、美術教育研究者。
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ルミコ・ハーモニー(LITTLE ARTISTS LEAGUE)
LITTLE ARTISTS LEAGUE共同代表、アーティスト、アクティビスト。フィンランド人と結婚し三児の母になったことをきっかけに、気候変動問題をはじめとする社会問題を意識するように。オーガニック展でのこどもの絵のコンテストの審査員を務めるなど、アートを通じて社会課題を解決するアプローチをしています。